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二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人

[1] スレッドオーナー: 鶴岡次郎 :2013/02/01 (金) 11:23 ID:xGlGEJOs No.2310
しばらくお休みをいただいておりました。あまり長く筆を置くと書き出すのに時間がかかること
も判りました。投稿ペースが以前の調子に戻るまで少し時間がかかりそうです。ゆっくりと始動
することにいたしました。よろしくご支援ください。

今回は二丁目にある高級マンション、『フォレスト・サイド・ハウス』に住む女性を中心にした
物語を書いてみます。相変わらず、市民のチョッとした日常がテーマです。ご共感いただける部
分が有りましたら、コメントいただければ幸いです。

毎度申し上げて恐縮ですが、読者の皆様のご意見、ご感想は『自由にレスして下さい(その
11)』の読者専用スレにご投稿ださい。多数のご意見を待っています。    

また、文中登場する人物、団体は全てフイクションで実在のものでないことをお断りしておきま
す。

発表した内容の筋を壊さない程度に、後になって文章に手を加えることがあります。勿論、誤字
余脱字も気がつけば修正しています。記事の文頭と、文末に下記のように修正記号を入れるよう
にします。修正記号にお気づきの時は、もう一度修正した記事を読み直していただけると幸
いです。

  ・ 文末に修正記号がなければ、無修正です。
  ・ 文末に(2)とあれば、その記事に二回手を加えたことを示します。
  ・ 1779(1)、文頭にこの記号があれば、記事番号1779に一回修正を加えたことを示します。
                                      
                                      ジロー

公園の男

三月のある土曜日、桜には少し早い時期ですが、日向に居れば暖かい日差しが心地よく感じられ
ます。日差しの暖かさに連れ出されて二丁目ににある『泉の森公園』に由美子がやってきました。
ここへは彼女の自宅から徒歩で10分程度で来ることができます。目下のところ由美子の周辺で
はこれといって事件は起きていないのです。それはそれでおせっかいな由美子には寂しいのです。

この公園の中央にはその名の由来になった地下水の噴出で出来た上がった周囲が500メートル
ほどの池が有ります。池を取り囲むように深い森が広がっています。午前10時を過ぎた頃で近
所の家族連れが集まってきて、池の周りはかなりの賑わいです。小さな子供たちが走り回り、休
日着姿のパパがその後を追っています。彼等の後から笑顔のママがゆっくりと歩いています。そ
んな光景を微笑を浮かべて見送っていた由美子の視線があるところで止まりました。

由美子の視線は池を取り囲んでいる森の一角に止まり、その一点を見つめています。大きく枝を拡
げた白樫の大木の陰に由美子の視線は向けられていました。そこには3台ほどのベンチが設置さ
れていて、日差しが強くなる季節には真っ先に占拠される人気スポットなのです。しかし、日陰
では少しは肌寒く感じる今の時期は敬遠され、そこには深閑とした影が広がっているのです。

由美子が眼を凝らすとベンチに一人の男性が・・、中年過ぎの普段着姿の男性が座っていました。

「彼・・・、今日も来ている・・・・」

密かに期待していたとおりの結果に由美子は満足しています。その男性を見るのは由美子にとって
初めてではありませんでした。

由美子はゆっくりと歩を進めました。5メートルほどに近づいた時、その男性は由美子に気がつ
きました。チラッと由美子を見て、それでも直ぐに視線を外し、池の周りで賑やかに騒いでいる
家族連れに視線を転じました。

迷いを見せずに由美子は真っ直ぐに歩きました。ほのかな女性の香りを嗅ぎつけ、男性が由美子
に再び視線を戻しました。由美子は一メートルの距離に近づいて居ました。

「スミマセン・・・、
側に座らせていただいてかまいませんか・・・?」

男性は驚きを隠しきれない表情で由美子を見上げました。

「ああ・・・・、
勿論・・、かまいません・・・・、どうぞ・・・」

男性は立ち上がり、由美子の手を取る仕草を見せています。由美子はニッコリ微笑み男性の体に、
彼女の身体を少し触れさせてベンチに座りました。立ち上がっていた男性は由美子の体に触れな
い程度に身体を寄せて、少し由美子に身体を向けるようにして、彼女に続いて腰を下しました。


[2] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人達(2)  鶴岡次郎 :2013/02/04 (月) 15:36 ID:FNLrxRRY No.2312
ふんわりとスカートを浮かしてベンチに座った時、女の香りがファーっと立ち上がり、ベンチに
座っている男性の身体を被うように取り囲んでいます。女性は誰でもそれなりの香りを持ってい
るのですが、由美子の場合はその香りがかなり印象的で、男なら一度その香りを嗅ぐとその虜に
なるのです。いわゆる男心を迷わすフェロモンの香りが強いのです。

普段はそれほど強くないのですが、彼女が男性を意識した時、その香りは濃厚になります。名も
知らぬ男性に声を掛ける冒険を犯すことによってもたらされたある種の緊張感が由美子の香りを
どうやら強くしているようです。彼女がさらに男性に興味を持つことになれば、その香りはさら
に強くなり、男はその香りを嗅ぐだけで勃起することになります。どうも、危険な雰囲気です。
男の身が危ぶまれます。

男性は少し顔を上げて、香りの源泉を確かめようと、本能的に腰を滑らせて由美子に身体を寄せ
ています。その結果ベンチに座った由美子の胸と男性の腕が軽く接触しています。男性は鼻から
息を大きく吸い込みました。由美子の香りが鼻腔奥深くまで行き渡り、男は眼を閉じて恍惚とし
た表情を浮かべています。

「ああ・・・」

思わず声を出し、男性は慌てて口を押さえています。男性の慌てている様子を笑みを浮かべて由
美子が見つめています。そして彼女も男性に親近感を持ったようで、意図的に身体を男性に押し
付けています。

互いの体温が感じ取れるほど由美子の乳房と男性の腕は接触し、男は柔らかな乳房の感触を楽し
み、由美子は固い男性の腕から男根を妄想していたのです。それでも、二人は互いがかなり異常
接近していることに気がつかない素振りを見せています。

見知らぬ男女が、一目で互いに好感を持った時、偶然の接触が起きても当人達はそ知らぬふりを
続けて、接触を楽しむのです。当事者たちにはたまらなく胸の高鳴る、甘酸っぱい香りがする現
象です。経験豊富な由美子と年配の男にとってもこの状況は変わらないようで、互いに高鳴る胸
の鼓動を楽しみながら、次なる相手の出方を見守っているのです。先ず由美子から動き出しまし
た。

「昨日も・・、その前の日も・・、
この公園で拝見しました・・・」

「・・・・・・?」

由美子の言葉の意味が良く理解できない様子で男性は由美子を見つめています。

「友人が公園で売店をやっているのです。
ほら・・、大通りに面して・・・、
赤レンガ造りの三階建ての古いアパートがあるでしょう・・、
あの一階で、公園側に面して小さな売店があるでしょう・・」

男性が笑みを浮かべて頷いています。どうやら男性はその店を・・、泉の森荘の管理人、美津崎
一郎・愛夫妻が経営する売店を知っている様子です。


[3] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち(3)  鶴岡次郎 :2013/02/06 (水) 13:06 ID:.LwC9GWQ No.2313
男性に身体を向けて、それが二人きりで話をする時の由美子の癖・・、癖と言うより本能的な習
性なのですが、ほとんど顔が接するほどに近づいて、相手の瞳の奥を覗き見るようにして話して
いるのです。温かく、心地よい由美子の呼吸の香りが男の鼻腔を刺激しています。フェロモン
リッチな体臭と暖かな呼気の香りに包まれて、それだけで、男性は由美子にスッカリ気を許して
います。

「売店から見えるベンチにあなたが座っているのを見つけて、
あなたの身の上をあれこれと推測して、友人と心配していたのです・・」

ハッと気がついた様子を見せ、そして男性が何度か頷いています。昨日とその前の日、勤めを休
んで、何処へ行くあてもなく自宅近くの公園に迷い込み、売店近くのベンチに座って時を過ごし
たことを男性ははっきりと思い出しているんです。

「そうですか・・、あの時、売店に居らしたのですか・・・。
お恥ずかしい姿を曝してしまって・・」


露天商天狗組の組長Uの情婦である由美子は、一月、二月の繁忙期が終わり、今月に入って天狗
組の仕事からようやく解放されて、久しぶりに自宅で落ち着いた時間を過ごしているのです。こ
こ数日、遠出を避けて毎日のように買物ついでに公園へ来ては、その帰り道、愛の売店を訪ねお
しゃべりを楽しんでいるのです。


昨日のことです、お茶を飲みながら公園内に視線を向けていた由美子が突然話題を変えて愛に言
ました。

「ネェ・・、あの人・・、昨日も来ていた・・。
長い間、あのベンチに座っていた・・・。
いい男だから、良く、憶えている・・・」

売店から20メートルほど離れたところにヒマヤラ杉の大木が有り、その木陰に置かれたベンチ
に男が一人座っていたのです。男は50歳過ぎですが、遠くからでもそれと判るほどのイケ面で
す。

「嫌ね・・、由美子さん・・、男を見る目が早いんだから・・、
実はネ・・・、私も昨日から気になっているの・・、フフ・・・」

二人とも口には出さなかったのですが、最初の日からその男に気づき、それなりの興味を抱いて
いたのです。

「ほら・・、愛さんだって・・」

カーテンの向うでテレビを見ている愛の夫、美津崎一郎に聞こえないよう、低い声で由美子がさ
さやき、愛の腕を指で突付いて媚びた笑みを浮かべています。

「サラリーマンのようだけれど・・、
何か悩みを抱えているようすね・・・、
なんだか・・、かわいそう・・・、気になるネ・・・」

由美子も愛もスッカリその紳士に同情を寄せていたのです。そして今日、由美子は池のほとりで
その男性を見かけることになったのです。これで三日連続して、その男を見ることになったので
す。


「肌寒い今の時期、森の中の暗い木陰のベンチに二時間以上座り込んでいるあなたを二日連続で
見てきました。

そして今日、また・・、こうしてお会いできたのです。
何か悩み事を抱えていらっしゃるのではと思いました。

ご迷惑でも・・、何か力になることはないかと思いました・・・
それで失礼を省みず、声を掛けてしまったのです・・・・」

「・・・・・・・・」

そう言って由美子は恥ずかしそうに頬を赤らめて、男から視線を外しています。自身の行動を言
葉にして、いまさらながら、自分のとった行動のはしたなさを恥じている様子なのです。

男はゆっくりと顔を振り、由美子を見つめています。見ず知らずの他人にそれほどまでに関心を
示し、やさしい言葉をかけて来た女性の心の豊かさに触れ、大きな途惑いとそれを越える感動で
言葉を忘れている様子です。


[4] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち(4)  鶴岡次郎 :2013/02/10 (日) 14:45 ID:gJ3SfqJ6 No.2316
「おせっかいな女と思いでしょう・・・・、
主人はいつもそう言って、私のことを笑います・・・・
でも・・、こうしてお近づきになれたのですから
私で良かったら、お話しいただけますか・・・。
私なんか・・、悩み事を抱えた時、他人に話すだけで・・、
それだけで、気が軽くなることもあるんですよ・・・」

微笑を消さないで、真っ直ぐに男性の目を見つめながら、由美子はゆっくりと話しかけています。
そして、左手を伸ばし、男の右手を握りました。文章にすると唐突に思えますが、由美子の動作
を見ているとそうすることが自然の動きに見えるのです。

「ありがとうございます・・・」

男性は視線を落して、お礼を言っています。男の眼に涙が浮かんでいます。それを由美子に気づ
かれないよう、男性は下を向いているのです。

人は途方にくれた時、頼る人もなくひとり悩んでいる時、優しい言葉に触れると、こみ上げてく
る感情を抑え切れなくなるものです。突然現われた由美子のやさしい言葉に触れて、それまで押
えていた男の感情は堰を切ったように、外へ溢れ出ているようです。由美子に手を握られている
ことさえ気がつかない様子です。握った手がかすかに震えるのを由美子は感じ取っていました。

「ネエ・・・、ここは少し寒い・・・。
友達の売店へ行って、温かい飲み物でもいただきましょうよ、
ああ・・・、お時間は良いのでしょう・・・?」

男の態度を見て、男性の悩みが思ったより深刻なものであることを悟り、これ以上ここで話し続
けるわけには行かないと由美子は感じた様子で、話題を変えるように朗らかな調子で語りかけて
います。視線を落としていた男性が顔を上げ、ほっとした様子を見せ、まるで子供のように微笑
んでいます。そして恥ずかしそうなそぶりを見せているのです。おそらくここ数日、男性は笑顔
とは無縁の日々を送っていたと思われます。笑みを浮かべることが出来た自身の変化に男性自身
が驚いている様子なのです。

男性の笑みを由美子は綺麗だと思いました。何故だか胸が締め付けられるような気分になってい
たのです。こんな時、女は恋に落ちるのだろうと由美子は他人事のように自身の身体の中に起き
た感情の漣を見つめていました。

男性の手を取ったまま、由美子が立ち上がりました。男性も立ち上がりました。160センチほ
どの由美子の身長では男の肩までしか届きません。

二人は肩を並べてゆっくり歩き始めました。さすがに男の手をとった由美子の手は解かれていま
す。それでもほとんど身体が触れるばかりに近づいてゆっくりと歩いているのです。二人の間に
言葉はありません、それでも二人は互いの胸の鼓動をはっきり感じ取っていたのです。二人の歩
む前方に泉の荘のレンガの赤い壁が見えます。


[5] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち(5)  鶴岡次郎 :2013/02/11 (月) 13:00 ID:tDlXuN.g No.2317
「由美子さん・・、いらっしゃい・・・
アラ・・、そちらは・・・」

噂の男性を連れて現われた由美子を見て、愛は眼を丸くしていました。

「池の側で偶然お会いしたの・・、
何か暖かい飲み物でもと思って、お誘いしたのよ・・」

「・・・・・・」

口には出しませんが、由美子の男狩りの素早さに愛はいまさらながらのように驚いていたのです。
そして、近くで見ると佐原の男振りはより際立っているのです。突然現われた噂の男性を目の前
にして、軽い途惑いとそのイケ面をまじかに見たときめきで胸を弾ませながら愛はその男性を
じっと見つめていました。そんな愛の様子を由美子が笑って見ています。

「愛さん・・、見惚れていないで・・、
ほら・・、奥へご案内したら・・・、フフ・・・・」

「エッ・・、アラ・・、そうね・・」

すこしあわてながら、それでも愛想良く二人を玄関から招じ入れ、売店とはカーテン一枚でしき
られた管理人夫妻の居間に案内したのです。

売店の店番を一郎に任せた愛と由美子が管理人室の居間で、男性と向かい合って座っています。
6畳ほどの広さですから、三人はほとんど手の届くほどの距離に車座で座っているのです。三人
の前には一郎が店の売り物だと断って差し入れた温かい缶コーヒーが置いてあります。

男性は佐原靖男と名乗り、大手生命保険会社の役員をしていると言いました。50歳を越えてい
るはずですが、中年太りとは無縁の、スレンダーな体つきで身長が180センチ近く、その上、
由美子と愛が一目で関心を示すほどのイケ面です。黒縁のメガネが彼の知性を強調しています。

公園を挟んで泉の荘とは対面の位置に、都心に向かう地下鉄の駅に近いところにある、このあた
りでは最上級の高級マンションで、フォレスト・サイド・ハウス、通称FSハウスと呼ばれてい
るビルが建っています。男性はそのマンションに住んでいると言いました。目と鼻の先に公園は
あるのですが、休日はゴルフや会社の付き合いで忙しくて、それまで公園に来ることはあまりな
く、勿論売店に寄ったこともないといいました。

佐原が大手保険会社の役員であることを知っても、由美子も愛も驚きません。彼の様子や、仕草
からある程度社会的に高い地位を持った男性だと想像していたのです。そして、イケ面であるこ
とが女達を和ませ、なにやら華やいだ雰囲気を醸し出しているのです。

「妻が・・、
幸恵と言い、私とは6歳、年下で、ことし45になります・・、子供はいません。
実は・・・、先日彼女が書置きを残して家を出て行きました。

普段着のまま、荷物らしい物は一切持たず、それこそ身一つで出て行きました。
妻はそれまでそれらしい様子を一切見せていませんでした。
勿論、妻からそんな仕打ちを受ける心当たりは私自身には思いも付きません。
もう・・、彼女が居なくなってから、今日で4日経ちます。

書置きには失踪の理由は何も書かれていませんでした。
ただ・・、『探してくれるな・・』とだけ言い残していました」

缶コーヒをおいしそうに一息で飲み干した佐原が、口を開き、前ぶれなく核心に触れてきました。


由美子に声を掛けられ、彼女と過ごしたわずかな間に、佐原は由美子に心を許し、彼女に縋りた
い気持ちを持つようになっていたのです。男と女・・、いやメスとオスの感性が呼応して10数
年以上付き合いのある親友の間に存在するような感情が一瞬の間に二人の間に芽生えていたので
す。


泉の森荘に案内され、美津崎管理人夫妻に紹介され、佐原は一目で美津崎夫妻の人柄を見抜きま
した。由美子と美津崎夫妻になら全てを話しても良い、いや、全てを聞いて欲しいと思うように
なっていたのです。それで、誰にも話していない妻失踪の経緯を二人の女を前にして話し始めて
いるのです。


[6] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち(6)  鶴岡次郎 :2013/02/12 (火) 13:48 ID:7MHIpOi6 No.2318
「心当たりを探しまわりました。学生時代の友人、実家、親戚などあらゆる伝を求めて連絡を取り
ました。彼女は一人娘で、両親は既に亡くなり、彼女の父親はいわゆる転勤族で、彼女には故郷と
呼べる地が無いのです。実家のある福岡は父親の最期の勤務地で、親類縁者はその地にはいないの
です。それだけに彼女が駆け込む先は限られていると思いました。直ぐに見つかると最初は高を
括っていたのです。

しかし、結局、それらしい彼女の影さえ掴むことができませんでした。勿論、問い合わせた時は
彼女の失踪は伏せておきました。彼女が失踪した件は私以外誰も知りません。お二人にお話しす
るのが初めてです・・・」

佐原は感情を乱すことなく苦しいはずの話を淡々と語っています。その平静な様子を見て、それ
だけによけい、佐原の悲痛な思いを二人の女は的確に理解していました。

「二日ほど探し回って、幸恵の姿どころか影さえつかめないことが判り、ようやく、私はことの
重大さを悟りました。単純な家出ではないと悟りました。私が持っている手がかりでは幸恵を絶
対見つけることは出来ないと気がつきました。幸恵はわたしの手の内から完全に逃げたのだと思
い知らされました。それが判ると、もう・・、彼女を探す気力を完全に失いました・・・」

佐原は由美子達の前であることを忘れたようにがっくりと首をうな垂れ、今にも涙を落としそう
な素振りなのです。二人きりであれば、由美子は迷わず彼を抱きしめたでしょう。それほど佐原
は落ち込んだ様子を見せているのです。

「少し冷静になって考えると、『探してくれるな・・』と、幸恵が書置きして言った言葉に込め
られている本当の意味がようやく判りました。

彼女は私から逃げ出したのです。私の目の届かない所へ行ってしまったのです・・・。

多分・・・、幸恵を戻ってこないでしょう・・。
いえ、それどころか、私は生涯、彼女に会えないとあきらめているのです・・」

最期の言葉を吐き出し、佐原は視線を畳の上に落しました。全ての手を尽くして途方にくれ、打
つ手もなく、かと言って憂さを晴らす手段も知らない佐原は、仕事人間の彼としては珍しいこと
ですが勤めを休み公園に来て、終日ただぼんやり時が過ぎるのに身を任せていたのです。そんな
佐原の姿を由美子と愛が偶然見ていたのです。

「佐原さん・・、誰にもお話しになっていない苦しみを、私どもに話していただいたことに感謝
します。それほどまでに私どもを信頼していただけたことに、先ず、お礼申し上げます・・。
ところで、お話を伺っていて一つ、気になったことがあります。立ち入ったことですがお伺いし
てもいいでしょうか・・・」

何事にも控えめな愛が由美子より先に発言しました。由美子とそしてカーテンの向こうで話を聞
いている美津崎一郎がビックリしています。みんなから注目されて、初めてでしゃばった行動に
出たことを悟ったようで、愛が少しはにかんだ様子を見せています。

「奥様は身一つで出て行かれたとのこと・・・、
今頃、住むところは勿論、食べることさえ不自由されているのではと・・、
とっても心配になります・・。
奥様はお金を多少は持ち出されているのですか・・・?」

ハッとした表情で由美子と佐原が愛を見つめました。そして、カーテンの向うで店番をしながら、
こちらの話に聞き耳を立てている一郎はこわばった表情で、一人頷いています。愛が何故そんな
発言をしたか、何故お金のことを真っ先に問題にしたか、一郎には彼女の心の動きが良く理解出
来ているのです。


[7] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち  鶴岡次郎 :2013/02/14 (木) 11:51 ID:Q4Naw9bY No.2321
「数年前、妻は両親からかなりの財産を相続して、これからの生活には困らないだけのものを妻
名義で所有しております。私が居なくても経済的には妻は困らないのです・・」

「そうでしたか・・・、
ご両親から財産を相続されているのですか・・・。
経済的制約がないとなると、私どものようにその日の暮らしに困ることもなく、奥様は自由に行
動できますね・・、それを聞いて少し安心しました・・・」

ほっとしたような様子を見せて、笑みさえ浮かべて、愛が言いました。そして、目の前に居る佐
原に気がつき、慌てています。

「ああ・・、スミマセン・・・、
私としたことが・・、佐原さんのお気持ちを考えずに・・・」

愛が慌てて頭を下げています。佐原が右手を振って笑みを浮かべています。

「いえ、いえ、妻のことをそんなに気にかけていただきありがとうございます。
奥様にそのことを指摘されて、妻も苦しんでいるはずだと初めて気がつきました。
自分のことばかりを考えていた私自身を恥じています。
もっと妻の身を案じてやるべきでした・・・」

「実は・・、私と夫はある事情があって、それまでの比較的安定した生活を捨て、住み慣れた土
地を捨て、身一つで逃げ出し、それこそ日々の食事も事欠く生活をしながら全国をさ迷い歩いて、
この町へ流れてきて、親切な方にめぐり会えて、このアパートの管理人の仕事を与えていただき、
世間から身を隠すようにして暮らしております。
そんな事情がありますから、佐原さんの話を聞いていて、身一つで家出をされた奥様のことが他
人事とは思えない気持ちになり、それでつい、気になることを口に出してしまいました・・」

「そうですか、どんな事情があるのかわかりませんが、まだお若いし、そう言っては失礼ですが、
ただの管理人さんご夫妻ではない気がしておりました・・」

佐原が笑みを浮かべて愛に答えています。

「奥様のご指摘で私は更に深刻な事実に気がつきました。先ほど申し上げたように、私の収入を
当てにしないで、妻は一人で生活できるだけのものを持っています。だから、どこかに隠れて暮
らすにしても、経済的にはそれほど不自由はしていないと思います。

そうなると・・、彼女を探し出し、無理やり連れて帰る道は完全に閉ざされたことになります。
彼女がその気にならない限り、私どもは元の生活に戻れないのですね・・・」

佐原が沈んだ声でつぶやきました。佐原がいう通りなので、愛も、由美子も答える言葉を持ちま
せんでした。余計のことを言ってしまったと愛はすっかりしょげ返っています。

一方由美子は佐原の話を聞いていて、ある疑問が浮かんでいるのですが、それは彼女の中で十分
確信を持つまでになっていないのです。それでも、由美子その内容を彼に告げることにしました。


[8] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち(8)  鶴岡次郎 :2013/02/18 (月) 11:11 ID:F9VE2n/. No.2322
すっかり気を落としてうな垂れている佐原を目の前にして、由美子は決意を固めていました。

〈私の考えが間違っているかもしれないけれど・・・、
落ち込んでいる佐原さんを元気付けることが出来るのは私しか居ない・・・〉

固い決意を表に出して、顔を上げ、由美子は佐原をにらみ付けるように見ました。

「佐原さん・・、あなたは少し間違っていると思います。
奥様の残された書置きを誤解なさっていると思います。

『・・探してくれるな・・』と奥様はおしゃっていましたね・・、
佐原さんは、その言葉を決別のメッセージだと受け止めているようですが・・、
私は少し違うと思います・・・」

由美子がゆっくりと、言葉を選びながら語っています。佐原が黙って由美子を見つめています。
端麗な男の視線を真正面から受けて、さすがの由美子も少し頬を染めて、恥らいながら次の言葉
を出しました。

「私には・・・・、
奥様が『・・探し出して欲しい・・』とおっしゃっているように思えます。

本気で探し出してほしくなければ、『好きな人が出来た』とか、『あなたと暮らすことに疲れた』
とか、女は決定的な決別の言葉を吐くか、そうでなければ、黙って出て行くものです。

『・・探さないで欲しい・・』と訴えているのは・・、
佐原さんに助けを求めているのだと私は思います・・」

佐原が驚きの表情を隠さないで由美子を見つめています。愛が何度も頷き、由美子の解釈を支持
しています。愛の様子を見て自分の考えに少し弱気だった由美子が嬉しそうな表情を浮かべてい
ます。

「そう考えると奥様の失踪の理由(わけ)もおのずと違ってきます。奥様は自ら望んで家を出て
行ったとは思えません。ご自身ではどうすることも出来ない事情で佐原さんから離れることに
なったのだと思います。多分奥様は佐原さんに探し出して欲しいと、今こうしている時もどこか
で佐原さんに呼びかけていると思います・・・・・。

戻るに戻れない状況下に置かれているか・・、
あるいはある事情から奥様が自分自身を戒めて、戻ることにためらいを見せいるのかもしれません」

佐原が驚きながら、それでも沸きあがる喜びを押えることが出来ない表情を浮かべて、由美子を
見ています。愛は何度も頷き、由美子の説を肯定しています。カーテンの向うで、一郎が難しい
表情を浮かべています。由美子の説明を全面的に受け入れているわけではないようですが、かと
いって由美子が間違っているとは思っていない様子です。。

「驚きました・・・・、
そんな風に一度も考えることが出来ませんでした・・・。
由美子さんのおっしゃることが本当なら、どんなに嬉しいか・・・。

いや・・、
由美子さんの言葉を私は全面的に信用すべきなんですね・・・」

「そうです・・、おっしゃるとおりです・・・。
もっと言えば、私のような者の言葉を信用することでなく、
奥様を愛していらっしゃるご自分自身をもっと信じてほしいのです・・・。
佐原さんほどの方から、それほどまでに愛されている女が簡単に失踪しません・・・。

ご自分に恥じることが何もなければ、
奥様を愛している気持ちに偽りが無ければ・・、
もっと強気でどっしりと構えていて欲しいのです・・・。
きっと奥様は佐原さんのところへ戻ってきます・・

ああ・・・、私・・、無責任なことを口走ってしまいました・・・。
ゴメンナサイ・・・、このままだと、佐原さんがあまり可愛そうだから・・・」

「・・・・・・・」


知らない間に、幸恵の立場に由美子自身を置いていて、佐原ほどの男を捨てた幸恵の気持ちへの
不満が高じて、言わなくてもいいことを言ってしまったと、由美子は唇を噛み締めていました。

佐原は黙って、じっと由美子を見つめていました。(1)


[9] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち(9)  鶴岡次郎 :2013/02/19 (火) 15:18 ID:4XPaXLik No.2323
2322(1)

由美子の情熱的な言葉を聞いて佐原は当惑と、それを越える感動を噛み締めていました。今日
会ったばかりの男の言葉を全て信じて、ためらいもなく女心の優しさを全開にして、女の情(な
さけ)を惜しげもなく由美子は降り注でいるのです。確かに、イケ面の佐原ですから、これまで
何人もの女から言い寄られたことがあります、しかしここで由美子に惚れられていると自惚れる
ほど佐原はバカではありませんでした。何が由美子をこれほどまでに動かしているのか佐原には
判りませんでした。

佐原は勿論由美子のことを良く知りません、もし、由美子を良く知っている彼女の夫や、情夫で
あるUがこの様子を見ていれば、「・・また始まったか・・」と苦笑いするはずです。貧富の区
別なく、老若・容姿を問わず、こよなく男性を愛し、男の喜ぶ顔を見るのが生きがいだと思って
いる由美子です。落ち込んでいる男を見れば、優しい言葉で励まし、時にはそのすばらしい肉体
を与えて、これまで何度となく由美子は男達を立ち直らせてきたのです。今回は、女から見て完
璧に近い男、佐原が相手ですから、由美子の優しさは最高調に弾けているのです。

由美子のやさしさ、彼女の励ましをしっかり受け止めながら、佐原の中で心の葛藤が渦巻いてい
ました。由美子の優しさを素直に受け入れることが、今の佐原には出来ないのです。

「・・・ご自分に恥じることが何もなければ、
奥様を愛している気持ちに偽りが無ければ・・」

先ほど、由美子は佐原にそう言いました。その言葉に佐原は動揺していました。幸恵が失踪した
理由に心当たりがないと言い切っている佐原ですが、もしそのことを幸恵が知れば、彼女が逃げ
出す可能性がある秘密を佐原は抱えているのです。他人には口が裂けてもそのことは言えないと
佐原は思っているのですが、由美子の優しさに接する内に、佐原の中で何かがゆっくり溶けてい
ました。

〈由美子さんなら・・・、この人なら・・・、あのことを・・・、
話せるかもしれない・・、話を聞いてもらえるかもしれない・・・〉

ここで何もかも由美子に告げることが出来ればどんなに気が楽になるかと、一瞬、彼の中で気持
ちが動いたのです。しかし、かろうじて佐原はその気持ちを止めました。おそらく由美子と二人
きりであれば、佐原は何もかも由美子に話したと思います。管理人夫妻の存在が佐原を思い止ま
らせたのです。

それでも、由美子の励ましを受け、佐原の中で何かが奮い立ったようです。それまで背中を曲げ、
気落ちした様子を見せていた佐原が背中をしゃんと伸ばし、二人の女を真正面から見つめ、笑み
を浮べながら、話し始めました。(1)


[10] (10)二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち  鶴岡次郎 :2013/02/25 (月) 18:06 ID:7P76OOzI No.2324
2323(1)
「幸恵が居なくなって、私は初めて彼女の存在の大きさが判りました。
彼女無しではこれか先の人生は考えられません・・。
どんなことをしても、彼女を探し出したいのです。

不幸にして・・、
いや、不吉なことは考えないようにします・・・。
これからは、自分を信じて、真正面から攻めます・・・」

一時間ほど前、肩を落として管理人室へやってきた佐原はもう・・、そこには居ません。別人に
ように佐原は変貌しました。戦う男の迫力を二人の女に見せ付けているのです。これが本来の佐
原なのだと、二人の女は佐原を頼もしそうに見ていました。

落ち込んで、悲しい素振りを見せる色男の佐原もそれはそれで二人の女心を揺さぶったのですが、
戦う男の表情を取り戻したイケ面佐原はまた別の魅力があると二人の女はじっと佐原を見つめて
いました。由美子の女心がまた動きました。

「知り合いに腕のいい探偵さんがいます。私が知っている限りでも、これまで難しい男と女の問
題を数件解決してきました。苦労人ですからどんなことでも親切に聞いてくれます。よろしかった
ら、紹介しましょうか・・」

勤めをこれ以上休むことが難しい佐原は由美子の話を聞いて大喜びでした。さっそく由美子が寺崎
探偵事務所へ連絡する約束をしました。男の喜ぶ顔を見た由美子の口が、ここでまた滑りました。

「男と女の問題になると、Uさんも少しは力になれると思います・・」

「エッ・・、Uさんとは・・」

深く考えないでUのことを出してしまった由美子は頬を染めて慌てています。

「私から説明してあげようか・・・?」

困り果てている由美子を見て、笑いながら愛が助け舟を出しています。由美子がコックリ頷いて
います。愛人Uのことを佐原に話してもいいと由美子は咄嗟に判断したのです。 

「Uさんと言うのは由美子さんの愛人です。
勿論、肉体関係が伴った愛人で、その上ご主人公認なの・・・。
うらやましい話でしょう・・・」

少しイジワルそうな口ぶりで愛が説明してます。微妙な話なので、佐原はただ驚いた表情を浮べ
ているだけです。

「そのUさんは露天商組合の親分さんなの、
それで、ウラの問題で彼に頼ると、いままで、何度も上手く解決してくれた・・。
佐原さんの奥様の件はそんな心配はないけれど、万が一その必用があれば、Uさんの手を借りる
ことも出来ると、由美子さんは言いたいのです・・。要するに、佐原さんのためなら、由美子さ
んはなんでもする気になっているのよね・・」

最後の言葉を由美子に投げかけて、愛は笑みを浮べているのです。佐原は驚きながら、由美子の
申し出に感謝して、全面的に援助を求めました。

「いや・・、スッカリお世話になりました・・。
由美子さんと愛さんに話を聞いていただき、いいお話をうかがい、励ましを受けて、ココの重荷
がすっかり軽くなった感じです・・」

佐原が胸を摩りながら女二人に頭を下げました・・。

「これから先・・、時々はココへ来てもいいでしょうか・・?
そうですか・・、そうさせていただきます。ありがとうございます・・・。
なんだか楽しくなってきました。
今晩は久しぶりに美味しい酒が飲めそうです・・・」

何度も、何度も頭を下げ、佐原は管理人室から出て行きました。由美子と愛は公園口まで彼を見
送りました。そして、彼が森の中へ消えるまで、その後ろ姿を見送っていました。

「幸恵さん・・、
今頃、何処にいるのかしら・・・
やっぱり、男が原因かしらね・・」

「う・・・ん・・・、
その可能性が一番高いけれど・・・、
でも・・、幸恵さん、40歳を過ぎているのでしょう・・・、
色恋に狂って、イケ面の佐原さんと、今の充実した生活を捨てるとは思えない・・。
二人の間に何が起こったのか・・、判らないわね・・・」

由美子と愛にも、佐原幸恵失踪の謎は容易には解けないようです。


[11] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち(11)  鶴岡次郎 :2013/02/27 (水) 16:40 ID:C6JtrfEI No.2326

怪しい男

由美子が自宅に戻ると事件の発生を予想していたかのように、寺崎が来ていました。都心で探偵
事務所を開いていて、鶴岡とは十数年来の友人である寺崎は相変わらず一人身で、月に二、三度
何の前触れもなくやってきて、時には一晩泊まっていくこともあるのです。

夕食の後、佐原のことを由美子は夫と寺崎に語りました。

「う・・ん、由美子さん・・、
近頃珍しくない話ですね・・・」

「奥さん」と呼ぶべきところですが、鶴岡の前でも寺崎は由美子を名前で呼びます。十数年前、
最初に出合った時からそうしているのです。そうすることで由美子の人格を鶴岡から切り離して
個別に評価していることを伝えたいと思っているようです。

勿論、露天商の親分である宇田川という恋人が由美子にいることも、彼女がたくさんの男達と奔
放に肉体関係を持っていることも寺崎はそのほとんどを知っているのですが、そのことで態度を
変えることなく、尊敬する友人、鶴岡次郎の妻として、そして、一人の尊敬する女性として由美
子に接しているのです。一方、由美子は寺崎のことを兄のように慕っています。

「私のところへ来る調査依頼でも、最近は旦那が捨てられるケースが多くなっているのです
よ・・・。そうした場合、決まって、奥さんの失踪は旦那にとって寝耳に水の場合が多いのです。
今回も、その佐原さんはまさか奥さんが黙って出て行くとは夢にも思っていなかったようです
ね・・。

多分、旦那は自覚していないけれど、奥さんが出て行った理由は旦那の方にあると思いますよ。

まあ・・、今に失踪した奥さんから旦那宛に離婚届が送られてきますよ、
旦那がそれにサインして、それですべて終わりです」

寺崎にとって佐原の事件はそれほど関心を引く出来事ではなかったのです。

「寺崎さん・・、何とか力になっていただけないかしら・・・、
スッカリ気を落として、落ち込んでいる様子を見て、
私・・、思わず声をかけてしまったの・・。
友達の愛さんだって、スッカリ同情して、今にも泣き出しそうだった・・・。

私、凄く仕事の出来る探偵さんを知っていると寺崎さんのこと紹介して、
佐原さんもその気になったから、
私・・、寺崎さんに連絡すると約束してしまったの・・、
話が通れば、寺崎さんの事務所を訪ねると佐原さん言っていた・・」

食後のブランデイを舐めながら、寺崎がことさら苦い表情を作っています。由美子が困った表情
を見せるのを楽しんでいるのです。

「そりゃ・・、商売ですから、頼まれれば、話を聞く程度のことは出来ますが、正直言って、あ
まり気が進まない仕事ですね・・・。

話の様子では佐原さんはなかなかイケ面のようですネ・・、
いや、間違いなく渋い中年紳士だと思います。
由美子さんや、お友達の管理人夫人がそこまで親身になっておられるのを聞いてそのことを確信
しました。
それでも人は見かけだけでは判断できませんからね・・・、
案外、DVや浮気で奥さんへ酷い仕打ちをしているかもしれませんよ、
それが判ったら、由美子さんも管理人夫人もガッカリすると思いますよ・・」

「そんなことはありません・・、佐原さんはそんな人ではないと思います。
私達はかわいそうな佐原さんに、同情して、何とか力になりたいと思っただけで、
寺崎さんの言うように、嫌らしいことは少しも考えていません・・。

そんなこと言うのだったら、もう頼みません。
もっと良い探偵さんを、Uさんに探してもらいます・・」

最初から佐原に好意を持っていることは事実で、痛いところを突かれて由美子は本気で怒り出し
ています。

「アハハ・・・、冗談ですよ・・。
由美子さんが余り熱心だから、佐原のことが少し妬けて来たのですよ・・。
それにしても、どんな時でも、イイ男は得をしますよネ・・・、アハ・・・・・・。

いいでしょう・・、いつでもいいから事務所へ連絡を入れるようにその色男に連絡してください。
寺崎探偵事務所が全力で対応します」

笑いながら寺崎が仕事を引き受けることを約束しました。

「それにしても、この仕事の結果は見えていますよ、女性にとって40過ぎの浮気は、ラスト
チャレンジですからね、その幸恵さんという奥さんの腹は固まっていて、誰も彼女の決断を動か
せないと思います。

男と暮らしている奥さんの居所を私が探し出して、チョトした修羅場があって、場合によっては
双方が弁護士を立てることになるかもしれませんが、いずれにしても、何らかの金銭のやり取り
があって、離婚成立となると思います・・・」

悔しい気持ちを持ちながらも由美子は寺崎に反論できないでただ彼を睨んでいました。それでも、
由美子は寺崎が言うほど幸恵の行動を単純に考えていなかったのです。助けを求める幸恵の声な
き声が由美子に聞こえていたのかもしれません。


[12] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人たち(12)  鶴岡次郎 :2013/02/28 (木) 16:41 ID:Gscbb7RA No.2327
その場で由美子は佐原に連絡を入れ、寺崎が調査を引き受けたことを話しました。佐原は非常に
喜んでいて、寺崎がその場に居るなれば電話口に呼んで欲しいと言いました。そしてかなり長い
時間二人の男は話し合っていました。翌日寺崎が佐原宅を訪問することが決まりました。これで
佐原幸恵の調査を寺崎探偵事務所が正式に請け負うことになったのです。

佐原の希望もあって、由美子が寺崎に同行しました。佐原のマンションは泉の森公園の側にあり、
由美子の自宅から徒歩でも行ける距離の所にあります。27階建ての比較的新しい建物で、この
近辺では一番豪華なマンションです。16階にある佐原の部屋、1613号室へ行くにはビルの
玄関とエレベータの二箇所に関門があり、関門はカードキーがないとゲイトが開かないシステム
になっています。このため住民以外の者がこのマンションに入るためには、入口ゲイトのインタ
ホーンで住人を呼び出し、住人が臨時出入のカードキーを発行することになります。この時、そ
の来訪記録が残るシステムになっています。勿論、要所に監視用のテレビカメラが設置されてい
て、不審者がチャクされています。

前夜、寺崎の指示を受けていた佐原はコンシェルジェから幸恵が失踪する前3ヶ月まで遡って、
自宅訪問者記録を入手していました。そのデータにはただの一件も不審者の訪問は残されていま
せんでした。これで少なくとも、自宅へ幸恵が男を連れ込んだ形跡が無いことが判ったのです。

一方、住民の出入はコンシェルジェではチェックしないことになっていて、何のデータも残って
いないのですが、佐原が知る限りでは幸恵の外出はかなり頻繁で、週に三回趣味でやっている
パッチワーク教室への出席、毎日の買い物、そして気楽な散策に時間を費やしていたようで、ほ
とんど毎日、5時間以上家を空けているのです。この行動を見る限り、幸恵が外で男と会ってい
た可能性は否定できないのです。

佐原夫妻は、寝室や居間の他にそれぞれに自室を持っていて、幸恵の部屋は趣味でやっている
パッチワークの作品で文字通り埋めつくされていました。
寺崎と由美子は丹念に幸恵の部屋を調べました。幸恵の部屋は彼女が失踪した直後の状態のまま
だと佐原は証言しました。

「この部屋の様子を見る限り、幸恵さんは何も持ち出していないわね・・・、
全てを日常のまま遺して、家を出て行った・・・」

洋服は勿論、下着類も持ち出された形跡は無いのです。

あの日、いつものように夜8時頃、帰宅した佐原は部屋の様子を見て、幸恵が買い忘れの食材を
買いに出たと、思ったのです。

居間ではテレビが点いていて、キッチンでは炊飯器がタイマー設定でご飯を炊き上げていたし、
オーブンにはローストチキンが入っていて、火を入れるばかりの状態であり、また、鍋には味噌
を入れて火をつければ味噌汁が出来るまで準備されていたのです。

「幸恵さんはよほど急な事情で家を出ることになったのネ・・・」

佐原から当日の様子を聞き、由美子が呟いています。寺崎が難しい表情で頷いていました。

寺崎が今まで経験した限りでは、主婦が家出をする時は周到に準備を重ね、衣類や化粧品、その
他日常生活に必要な必需品は事前に取りまとめて家出先に送り届けるのが一般的なのです。

幸恵の場合、夕食の支度途中でチョッと外へ出て、そのまま姿を消したとしか考えられない状況
なのです。口には出しませんが、今回の事案は単なる主婦の家出とは異なり、事件の匂いを寺崎
は嗅ぎつけていたのです。


一通り部屋の調査が終わり、二人は居間に戻りました。佐原がコーヒーを準備していました。そ
こで佐原がA5サイズの便箋を一枚二人の前に差し出しました。

「これが幸恵が残した書置きです。
居間のテーブルの上に置いて有りました」

何の変哲もない便箋にサインペンでその書置きは書かれていました。

『チョッと留守にします・・
             ゆきゑ

探さないで下さい・・・』

佐原でなくても、誰でも当惑するほど簡単な文面です。寺崎も由美子もただ黙ってその文章を見
ていました。


[13] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人(13)  鶴岡次郎 :2013/03/07 (木) 16:42 ID:DQN5mYFQ No.2328
「奥様の筆跡に間違いないですか・・?」

寺崎が訊ねています。

「ハイ・・・、間違いないと思います。
それに、このサインは私だけに判る幸恵のサインです・・」

『幸恵』と書くところを、佐原宛に手紙を書く時は結婚前から『ゆきゑ』と書いていて、佐原
宛か、よほど親しい友人宛てでないとこのサインは使用しないと佐原は証言しました。

「『探さないで下さい』のフレーズを、サインの後に付け足しているようですが・・・」

佐原に向かい、言葉を選びながら寺崎探偵が話しかけました。佐原もそのことに気がついていた
ようで、黙って頷いています。

「そうですか・・、ご主人も気がついていましたか・・」

「・・・・・・」

佐原が口を開くのを待っている寺崎ですが、佐原は黙ったままです。

「どうやら『探さないで下さい』のフレーズは、『留守にする』と書いた時には思いついていな
くて、その後何らかの事情で書き足したように見えます、場合によっては、この二つのフレーズ
の間には多少の時間差があるかもしれません。

このことに、何か心当たりがありますか・・?」

寺崎が佐原に質問しています。

「私も不審に思いました・・。
なぜ、サインの後で、思いついたように書いたのか想像も出来ません」

佐原も首を捻っています。

「佐原さん・・、
この書置きが存在する限り、奥さんが自発的に家を出て行かれたと判断せざるを得ませんが、一
方では、ご主人から聞いた当日の様子などから判断して、奥様が何者かに拉致された懸念も消え
ません。

私どもは引き続き調査を進めますが、警察に届けを出されることを勧めます。私が不審に思うほ
どですから、多分、警察でも不審感を持つはずで、そうすれば家出人捜査の枠を超えた捜査をし
てくれる可能性が出てきます」

佐原自身も幸恵の失踪に事件の匂いを感じていたことでもあり、寺崎の勧めを素直に受け入れ、
その日の内に地元の警察へ届けを出しました。

警察では家出人の捜査として受け付けました。そして佐原が不審に思っている内容も丁寧に聞い
てくれました。しかし、それだけでは事件と判断する材料として不足していたのでしょう、警察
は家出人捜査名簿に登録することは約束しましたが、それ以上の捜査、たとえば佐原の自宅を捜
査するまでには至りませんでした。この警察の対応は佐原にも最初から予想できたことであり、
それほど落胆しませんでした。この時、幸恵が家を出て一週間経っていました。


[14] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人(14)  鶴岡次郎 :2013/03/08 (金) 14:45 ID:ECZ7NWac No.2329
調査依頼を受けて寺崎探偵事務所は幸恵が出向きそうな知人や、学友達をしらみつぶしに調べま
した。勿論それまでに佐原が調べた部分も重ねて調べたのです。しかし、一週間経っても何も掴
むことはできませんでした。調査は完全に暗礁に乗り上げていました。寺崎はマンション周辺の
聞き込み調査を再度精度を上げて念入に行うことにしました。何の証拠も有りませんが、探偵の
勘で幸恵は自宅近辺に潜んでいると寺崎は考えたのです。


寺崎と最初に訪問して以来、自宅に近いこともあって由美子は3度ほど愛と一緒に佐原宅を訪問
しました。気を落としている佐原を二人で慰めるのが目的です。その都度、二人が準備した手料
理を持って佐原宅を訪問するのです。そして、少しの時間おしゃべりを楽しむのです。佐原も二
人の訪問を心待ちにするようになり、二人が帰る時は次の訪問日を約束させるのです。二人の女
も佐原を訪ねるのが楽しいようで、嫌な顔をしないで次回の訪問を約束するのです。

今日は前回訪問した時の約束で昼前に佐原家を訪問して、昼食を一緒にすることになっています。
ところが、訪問予定日の二日ほど前から愛が体調を崩し、当日になって一緒に行けないと連絡して
きたのです。

「軽い風邪だから、直ぐに治ると思ったのだけど、ダメだった・・・。
熱は下がったんだけれど、全身がだるいの・・・」

電話の向うから比較的元気な声ですが、明らかに喉を患っている声が聞えてきました。由美子一
人で佐原を訪問するのは憚れるので、中止しようと由美子が言い出しました。

「ダメよ・・、佐原さん楽しみにしていて、今日は会社を早退する予定でしょう・・、
由美子さん一人で行ってよ・・、

大丈夫よ・・、佐原さん紳士だから・・、
それに何か起きたとしても、誰にも判らないよ・・、フフ・・」

愛に背中を押され、最初からその気になっていた由美子は一人で行くことになりました。早起き
して調理した根菜の煮物と鳥のから揚げを中心にしたお弁当二人分をパック詰めにして、昼前に由
美子はいそいそとマンションへやってきました。

一階のゲイトで部屋の番号をキーインすると、インターホンから佐原の返事があり、ほどなく臨
時カードが発行されました。約束どおり佐原は会社の仕事を午前中で終え、自宅へ戻っていたの
です。カードキーを使用して玄関を通り抜け、一階のエレベータホールへ入り、ここでもカード
キーを使用してエレベータに乗り込み16階に着きました。佐原が16階のエレベータホールで
出迎えていました。ここで、由美子一人が来たことを知り、佐原は驚きながら嬉しそうにしてい
ました。

このマンションはエレベータがビルの西壁に沿って設置されていて、エレベータホールから各部
屋へは廊下が環状に伸びています。窓の無い薄暗い、幅一メートルほどの絨毯を敷き詰めた廊下
を通って二人は佐原の部屋へ向かいました。高級なムードを演出するためでしょう、廊下はかな
り照明を落としていて、むしろ薄暗いほどです。

佐原が先頭に立って、由美子がその後を歩いています。もう直ぐ、佐原の自宅、1613号室へ
着く、その時、隣家の1614号室の扉が開きました。男が一人出てきました。中肉中背の50
歳代の男です。雰囲気を出すため、あえて照度を落としている廊下照明ですから男の表情は良く
判りませんが、全身からどことなく遊び人風の雰囲気を発散させています。あえて言えばこのマ
ンションの住人に相応しくない男だと由美子は感じ取っていました。


[15] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人(15)  鶴岡次郎 :2013/03/11 (月) 14:07 ID:jNDZTrBQ No.2330
その男は1614号室の扉を閉めようとして、何かを思い出したらしく、扉を半開きにして、部
屋の入口に立って少し声を高めて奥に居る住人に語りかけ始めました。どうやら、男は近づいて
くる佐原と由美子の存在に気がついていない様子で、かなり気を抜いた様子で部屋の中にいる住
人に話し始めたのです。男から離れたところに居る由美子ははっきりとその言葉を聞き取ってい
ました。

「先ほど約束したように、遅くなるかもしれないが・・、今晩、必ず顔を出すから・・、
今晩は、寝かせないからな・・。
ああ・・・、夜遅く来ても、カードキーの発行は大丈夫だね・・」

「・・・・・・・・」

女性がその声に答えていますが、由美子にはその内容が聞き取れませんでした。男と部屋に居る
女性のやり取りから、その男が部屋の住人ではなく、訪問者だとわかり由美子は納得していまし
た。


男がドアーを閉め、エレベータホールへ向かうべく、身体を反転しました。そこで初めて佐原と
由美子を確認して、男は少し驚いた様子で、気まずそうな表情を浮べました。廊下の幅は1.5
メートルほどの狭さです。由美子の前を歩いている佐原がその男とすれちがいながら頭を下げて
います。男も軽く一礼をしています。由美子がその男に近づき、男と由美子が互いに視線を絡み
合わせました。

廊下の照明が由美子の顔を浮かび上がらせていました。男が一瞬驚きの表情を浮かべ、そして慌
てて視線を外し、急ぎ足で由美子の側を通り抜けました。由美子から見て、その男は照明を背に
していて、はっきりとその表情を見ることが出来ませんでした。そして、その男が由美子を見て
驚きの表情を浮べたのを由美子は見逃していたのです。


今まで何度も説明して来ましたが、由美子は少し離れたところに居ても、男根の状態をかなり正
確に判定できます。それと同時に、その男の性的能力もかなり正確に判定できます。いつものよ
うに、由美子は今通り過ぎたその男を無意識に評価していました。

男は並外れた性的能力を持っていました。前を歩く佐原は先ほどエレベータホールで由美子に
会ってから、かなり男の気力を高めていて、股間の物もそれなりの反応を示し始めているのです
が、その男の放つ精力は佐原とは次元の異なるものでした。勿論、その男の股間はごく平静な状
態です。それでも、そこから放たれる強い精気を由美子はキャッチしていたのです。

〈・・誰かしら・・、これほどの精力は珍しい・・
素人でこれだけの精力は作り出せない・・・、
多分・・、あの男はその道のプロ・・・・〉

遠ざかる男の気配を背中で追いながら、由美子はその男の素性を考えていました。先ほど垣間見
た素人離れした、少し崩れた服装、男の気配、それと由美子だけが感じ取ることが出来る男根の
放つ精気などから、その男がプロの色事師と言い当てていたのです。


プロの竿師と呼ばれる職業人を普通の主婦は会うことは勿論、その存在さえ知りません。露天商
仲間と付き合いの深い由美子は今まで何度となくそうした人種と接触していて、彼等特有の精気
には馴染みがあるのです。

凄い性的能力を持った男が失踪した幸恵の隣家から出てきたのです。そして今夜遅く再度訪問す
ると男は告げているのです。おそらく・・、いや確実に隣家の旦那は留守で、何らかの事情で今
晩も旦那は自宅へは戻って来ないのです。その部屋の夫人は午前中、男と熱い一時を過ごし、そ
れだけでは足りないで、夜、もう一度、男を自宅へ誘いこむつもりなのです。

今垣間見た状況から、由美子はこれだけのことを推察していました。そして、その男と隣家の夫
人の関係に強い関心を寄せていたのです。そして、その男が訪ねていた家が佐原家の隣家である
ことに、由美子は幸恵失踪とのつながりを漠然と感じ取っていました。勿論、このことは由美子
一人の胸の中に秘め、佐原には話さないと決めていました。


[16] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人(16)  鶴岡次郎 :2013/03/13 (水) 13:46 ID:Xm4dh.u6 No.2331
由美子が準備してきたランチを佐原は嬉しそうに食べました。女の手料理に男は弱いとよく言わ
れますが、女にとっても同様に、手間ひま掛けて調理した料理を男が美味しそうに食べてくれる
のを見ると、女心が疼くものです。二人はすっかり打ち解けて、由美子の家族のことや、最近の
ニュースを話し合いました。しかし、日ごろは付き合い薄い二人です、直ぐに話題はつきました。

甘い、そして、何故か息詰まるような沈黙が突然訪れました。佐原は黙って食後のコーヒーを飲
んでいます。由美子は必死で話題を探そうとするのですが、あせれば焦るほど良い話題が思いつ
かないのです。

このまま沈黙が続けば、どちらかが痺れを切らして相手に抱きつきそうは雰囲気になっていまし
た。若い二人であれば、呼吸が乱れ、身体が振るえて、何も出来ない状態になるのですが、さす
がに由美子はこの雰囲気を楽しむ余裕さえ持っていました。佐原も同様で、コップの中の琥珀色
の液体をゆっくり喉に流し込みながら、薄いブラウスを透して見える白いブラに包まれた由美子
の胸をこっそり覗き込んでいるのです。甘い緊張でその濃度を増した由美子の体臭が佐原の鼻腔
に届いているはずです。この香りをかげばどんな男も冷静さを失うのです。

「未だ少し時間が有りますから・・・、
私・・・、部屋の掃除をします・・・」

独り言のように言って、由美子が立ち上がりました。ほっとした表情を浮かべ佐原がお礼を言って
います。


佐原も手伝って居間に散らばった小物を片付け、由美子が掃除機をかけ、その後、由美子一人で
キッチン、洗面所の掃除をしました。最期に佐原の部屋を掃除をして、これで仕事が一段落しま
した。佐原のいる居間に戻ろうとして、深い考えもなく、由美子は幸恵の部屋の扉を開けました。
この時、仕事熱心な佐原は居間で会社から持ち帰った書類を読んでいました。

夫人の部屋の物には一切手をふれないでおこうと最初から由美子は思っていたのです、しかし、
この日は佐原との間に起きた甘い沈黙のせいで、幸恵がどんな生活をしていたのか強い関心を
持ったのです。それで、自らに課した禁を破って、由美子は彼女の部屋に入ってしまったのです。


この部屋の主が去ってから二週間近く経っています。人気は感じられないはずなのです。それ
が・・、由美子はなんとなく違和感を感じ取っていました。誰かが・・・、それも女性が・・、
この部屋に最近入ったと由美子は感じ取っていたのです。

ためらいながら、それでも違和感の正体を突き止めたくて、作り付けの箪笥やロッカーをそっと
開けました。中を見て、由美子の違和感は更に強くなりました。最近、誰かがその中の物に手を
触れた気がするのです。由美子にためらいはなくなっていました。積極的に箪笥、ロッカーを
チェックし始めました。下着類を入れた小物ダンスを開けた時、由美子の違和感は確信に変わって
いました。

〈・・幸恵さんは、ここへ戻って来ている・・〉

二週間ほど前、寺崎と一緒に、最初にこの部屋に入った時に比べて、下着類がかなり減っている
のです。おそらく洋服ダンスや、其の他の物入れからも無くなっている物があるはずだと由美子
は確信しました。

幸恵恋しさのあまり彼女の下着に佐原が手を出すことは勿論考えられるのですが、それであれば
これほど多量の下着が無くなることはないと由美子は考えたのです。幸恵がこの部屋に入って、
衣類其の他を持ち出したと、由美子は考えたのです。

勿論、幸恵の意を汲んだ誰かがこの部屋に忍び込むことも由美子は考えたのです。マンションへ
入るカードキーと部屋の鍵を幸恵から預かって、住人以外の者がこのマンションに入り込むこと
は可能です。しかし、それは違法行為でバレれば佐原家はマンションから追放されるのです。着
替えを手に入れるために、そんな重大な犯罪行為を幸恵が犯すはずがないと由美子は考えました。


そう考えると、昼間佐原が会社へ出かけている内に、自分のカードキーを使用して自宅へ入り、
必要な品を幸恵が持ち出したと考えるのが自然なのです。住人がカードキーを使用する限り、コ
ンシェルジェには何も記録が残らないことを幸恵も知っているはずですから、安心して幸恵は行
動できるのです。そして、おそらく、幸恵はこのマンションからそう遠くないところに隠れてい
ると由美子は考えたのです。

この様子なら幸恵は何者かに拘束されている心配はなく、自由に動き回り、自宅へ戻るタイミン
グを計っていると由美子は考えました。幸恵の意思がはっきりわかるまでは、由美子はこの発見
を佐原にはしばらく伏せることにしました。同時に、廊下で見た怪しい男のことも佐原には伏せ
ることにしたのです。今、中途半端な怪しい情報を佐原に告げても何も得られないどころか、彼
に余計な心配を与えることになると思ったのです。もう少し情報を集めてその上で確信の持てる
内容になれば佐原に告げることにしたのです。由美子がこのような判断をしたのは、幸恵にさし
迫った危険がないと判断したからでした。


[17] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人(17)  鶴岡次郎 :2013/03/14 (木) 17:36 ID:f6kldX2w No.2332
強引に拉致された様子でもなく、家を出た後も夫の留守を狙って何度か家に戻るほど自由に行動
している幸恵の真意は何処にあるのか、幸恵と連絡を取り、彼女の真意を探る必要があると由美
子は思いました。そのためある仕掛けを幸恵の部屋に残すことにしたのです。幸恵が自宅へ戻り
たいと真剣に思っているのなら、必ずこの誘いに乗るはずだと思ったのです。その仕掛けをする
ため、由美子は10分ほど幸恵の部屋にこもりました。佐原は居間で大きな声で電話をしている
ようで、由美子の行動に気がつきません。おそらく会社の部下と連絡を取っているのでしょう。

掃除を終えた由美子が居間にもどると、佐原が紅茶を準備しているところでした。二人でお茶を
いただきながら、由美子がそれとなく探りを入れました。

「佐原さん・・、
お一人での生活、慣れなくて大変でしょう・・、
夜、自宅へ戻られた時、朝食に使用した食器類や、脱ぎ捨てた衣類の散らばった居間などを見
ると、ガッカリするでしょう・・。
家事に慣れているはずの私でも、外出から帰ってきて汚い家の中を見ると、
片付けてから出かければよかったといつも後悔するのですよ・・・」

「そうですね・・、食器を片付けるのが嫌ですから、出来るだけ家では飲み食いしないようにし
ています。洗濯だけは何ともなりませんから、夜やっています。

自分で言うのも変ですが、妻が居なくても、何とかなるものですね・・、
気がついたのですが、思ったより私は几帳面だと判りました。はは・・・」

「几帳面て・・、何ですの・・?」

「いえね・・、妻が居る時は、それこそ縦の物を横にすることもしない、ぐうたら亭主でした。
お恥ずかしい話ですが、スーツやネクタイなどいつも居間に脱ぎ捨てていて、彼女からお小言を
言われていたのです。それが、彼女が居なくなってからは、ちゃんとロッカーに入れているので
す。酔っ払って帰って来た時でさえ、ちゃんと入れているのですよ。我ながら、たいしたものだ
と、自分を褒めてやりたい気分です。はは・・・・・」

良い気分になって佐原が話しています。

幸恵の来訪をこの時もはっきりと由美子は確信していました。失踪以来、何度か幸恵は自宅へ
戻っているのです。あまり目立つことは出来ませんが、佐原が脱ぎ捨てたスーツやネクタイを
こっそりロッカーに戻しているのです。佐原はそのことにさえ気付かずに、自分がロッカーにも
どしたと思い込んでいるのです。そして、その気になって家の中を見渡せば、男の一人暮らしと
は思えないほど小奇麗に保たれているのです。それとなく幸恵が掃除を済ませているのがそこ、
かしこから感じ取れるのです。

〈なんて鈍感なんだろう・・・、
でも・・、そんな佐原さんが可愛い・・・・〉

男の鈍感さにあきれるより先に、由美子はそんな佐原を愛しく思い始めていました。こうした男
の弱さ、幼さを見ると、由美子の中に存在する男好きの虫が騒ぎ始めるのです。潤んだ瞳で由美
子は佐原をじっと見つめていました。女の全身から、妖しい気が漂い出ています。とっくに由美
子は佐原を受け入れるつもりになっているのです。


[18] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人(18)  鶴岡次郎 :2013/03/20 (水) 14:20 ID:B0HgoBk6 No.2333
男の幼さをあからさまに曝し、それでもけなげに微笑むイケ面の佐原を目の前にして、由美子の
気持は高ぶっていました。濡れてキラキラ光り、燃えるような光を放つ瞳を男に向けています、
抑え切れない女心が身体を燃やしているのです。おそらく欲情した時発散される由美子の強い香
気が佐原の鼻腔を刺激しているはずです。

歩いて数分の距離ですから、今日の由美子は自宅でくつろぐ普段着に買物バックを手にしてこの
マンションへ来ています。ミニのスカートに、白のブラウスをつけて、若草色のスプリングコート
を羽織ってやってきているのです。ソファーで意識的に高く脚を組んだ生足がほとんどパンテイ
まで見えそうになり、白のブラウスから、同色のブラが透けて見えます。

「幸恵が居なくなった当初はとても生活できないと絶望的な気持ちになっていたのですが、あれ
から三週間も経つと、それなりに生活できることが判りました。
勿論不自由なことを上げればキリが有りませんが、そんなものだとあきらめれば、何とか成るこ
とも判りました・・・」

ティー・カップを手に、佐原が眼を細めて清楚な中に、怪しい色気を醸し出している由美子の全
身を舐めるように見ています。由美子は勿論男の視線を意識していました。愛が急の発病で同行
できないと判った時、佐原と二人きりになる危険を予知できたはずです。それでも由美子は一人
でやってきたのです。そして、それなりの準備をしてきているのです。男に抱かれることを意識
して、出かけにシャワーを浴び、身体の隅々まできれいにして、派手な色彩を避けながらも大胆
なカットの下着や衣類を身に着けてきたのです。

由美子の真正面に座り、和やかに話していますが、次の瞬間、佐原が由美子の側に移動して、肩
に手を掛けてくることだって起こり得るのです。そうなれば、由美子は眼を閉じて、佐原の唇を
待つつもりなのです。

「・・何かが起きても、誰にも判らないよ、
余計な心配をしないで、予定通り佐原さん家(ち)へ行ってちょうだい・・」

愛は由美子にそう言ったのです。

「これが私一人で行くとなると、主人が心配して、とてもそんなことは出来ないけれど、由美子
さんなら大丈夫よ。ご主人は理解があるし、由美子さんが今まで積み上げてきた実績もあるし、
何かあっても誰も問題にしないよ。むしろ何かが起きた方が、由美子さんにとっても、佐原さん
にとってもハッピーよ・・・」

愛にここまで言われると、由美子はもう何も反論できませんでした。ただ、苦笑いして、佐原宅
を一人で訪ねることにしたのです。勿論、佐原が迫ってくれば、由美子は拒否しないつもりで、
密かに備えをしてきているのです。

しかし、ソファーに向かい合って座り、和やかにコーヒーを楽しみながら、由美子が全身の力を
抜いて潤んだ瞳を見せているにもかかわらず、佐原はそれらしい動きも気配も見せませんでした。
先ほどから、由美子は佐原の股間がごく平静であることに気がついていました。由美子がその気
になっているのに、反応を見せない男はごく稀です。佐原はその稀な例だと、悔しさよりも驚き
の気持ちをこめて由美子は佐原を見ていました。

幸恵のことが頭から離れなくて、由美子の魅力が幸恵の思い出を押しのけることが出来なくて、
佐原がその気にならないのだと由美子は思ったのです。しかし、ブラウスのボタンを三つほど意
識して外した胸や、白のTバック・ショーツが見えるまで脚を高く組んだ生脚に絡む男の舐める
ような視線を感じ取り、由美子は思い直していました。

〈・・・私の魅力が乏しいせいではない・・・、
彼は十分に私の体に興味を見せている・・、
それだのに・・・、彼の中に・・、彼の性衝動に火が点いていない・・・〉

目の前に座っている佐原の不可解の態度に驚きながら、それでも由美子は冷静に彼の様子を分析
していました。

〈幸恵さんのことで頭が一杯なのだ、彼女を本当に愛しているのネ・・・、
でも・・、それだけではない・・、何かが違う・・、

そうだ・・、あるいは佐原さんのこの燃え上がらない態度が・・、
女のあからさまな誘いを受けても、燃え上がらない佐原さんの身体の秘密、
これが事件の真相に近づくキーなのかも・・〉

由美子の中に突然ある発想が閃きました。男と女の愛の形をいろいろ経験し、異常な愛の形も沢
山見てきた由美子ならではの閃きでした・・。


家出をしていながらかなり頻繁に自宅を訪れている幸恵のこと、隣家の主婦と親密な関係を持つ
怪しい男、そして、佐原の不可解な性衝動あり方、この日由美子はたくさんの情報を掴むことが
できました。いずれの情報も相互に何の関係もないように見えるのですが、これらの情報を上手
く繋げば事件を解くキーにかなり近づくと由美子は漠然と考えていました。そして、その日、由
美子はそれ以上佐原を刺激することなくおとなしく佐原家を辞しました。こうして、由美子がそ
の気になったにもかかわらず、何も起きなかった稀な男の一人に佐原の名が加わったことになり
ます。


[19] 二丁目、フォレスト・サイド・ハウスの住人  鶴岡次郎 :2013/03/27 (水) 17:09 ID:bwYNTT/A No.2334
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